思いやりのスピーチ
この間のロンドンで行われたスピーチコンテストに参加したのですが、どうなったか以下に書きました。
2月2日にいよいよ本番でした。何回もスピーチを練習したり、当日の朝の電車でも先生に録音してもらったスピーチの発音を最終の確認していました。両親と一緒に着いて、前半の日本語専攻していない学生たちのスピーチを聞きました。
そして後半でした。僕は2番目で、緊張で最初の人のスピーチを全然聞けずに待っていました。知らずのうちに100人を超えた聴衆の前に僕の緊張してしまった姿が刻んだのです。自分の前の机にメモとスピーチを整理して、息を吸って前向きにしてから話し始めました。自動的に暗唱したから、なんとなく最後まで話し続けていましたが、スピーチが終わったら大変乾いた喉さえを癒し終わらないうちに審査員に厳しく質問されました。
僕はほとんど緊張していてほかの出場者のスピーチをあんまり覚えていないのですが、皆さんはやっぱりレベルが高くて、なかなかすごい競争でした。休憩の間に反省していたら、まあまあできてそれだけでも満足すると思ったのですが、結果発表になると僕が優勝しました!本当に驚いて話せなくなったのですが、その代わりに講堂が母の絶叫でいっぱい響いていたのです!恥ずかしながら、日本への往復切符、Japan Rail Passと千ポンドという賞品を授与したり、写真撮影したりされました。それで、僕が最後の挨拶をするということで、緊張で下手糞な「皆さん、ありがとうございます」というような一言もしました。その後、レセプションでいろいろな偉い人にお辞儀したり、挨拶したりしました。
いやー、本当に楽しかったのですが、なかなか疲れてきました!
興味のある日とは、スピーチが以下に起きましたので、ご覧ください!
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日本人独特の思いやり
ただ今ご紹介に預かりましたリーズ大学のマイケル・ダウニと申します。本日は日本人独特の思いやりについて発表させていただきます。どうぞよろしくお願い致します。
さて、皆さん、「佐賀のがばいばあちゃん」という本をご存知でしょうか。「佐賀のがばいばあちゃん」は、貧しいおばあさんと暮らしている昭広という少年の物語です。おばあちゃんはかなりの節約家で、昭広は、毎日ご飯と漬物のみという質素なお弁当を持って学校へ通っています。運動会の日の昼休み、クラスのみんなが家族の人とおいしそうなお弁当を食べている中、お母さんにも来てもらえなかった昭広は、一人ぽつんと教室に座っていました。そこに先生がやってきて、こう言います。「ちょっとお腹の調子が悪くて、先生のお弁当を食べられそうにも無いから、昭広くん、先生のと交換してくれないか。」実は先生はお腹なんて痛くなかったのですが、落ち込んでいる昭広を元気付けようと、自分のお弁当と交換してあげたのでした。
私はこの先生の思いやりに強く惹かれました。私だったら、「これ要らないけど、捨てるのももったいないからあげるよ」というような言い方をしたでしょう。しかし、もし、この先生が私のような理由を付けていたら、親切のつもりでも、昭広に本当のことを気づかれる可能性があったかもしれません。昭広が貧乏でかわいそうに思われ、お弁当をもらったと知ったおばあさんは、恥ずかしくてたまらなくなると思います。
ここで先生は「おばあちゃん」の気持ちも考え、「お腹が痛い。」と言ったわけですが、このような日本的な思いやりに出会う前に、私は、直接の相手ではない、その向こうにいる人を思い浮かべたり、その人の気持ちを考慮したりしたことはありませんでした。ただ私が無神経な人なだけかもしれませんが、恐らくほかの欧米人もこのように深く考えることはほとんどないと思います。
「佐賀のがばいばあちゃん」を読んだとき、この先生の例は、イギリスにはない、日本独特の「思いやり」に違いないと感じました。私の考える日本的な「思いやり」のニュアンスは「相手の気持ちを深く推し量り、その人だけではなくその人の周りの人のことも考える」ことだと思います。どんな行動においても、相手だけではなくその周りの人にまで気持ちが及んでいるという点が独特なのです。そして、この「思いやり」は、みんなが平和に暮らせるよう協力するという「協調性」にも関係しているのではないかと私は考えます。
日本人の友達と「思いやり」について話していたら、友達から次のような経験を聞かされました。友達はホテルのフロントで働いていたのですが、ある日、宿泊しているお客さんがやって来て、荷物を送って欲しいと言いました。しかし、お客さんの書いた字が乱暴で、住所を正確に読めませんでした。そのため、荷物がきちんと届かないのではないかと心配になりました。
皆さんだったら、どうなさいますか。私だったら、丁寧にお客さんに聞いて、住所を確認すると思います。しかし私の友達は「すみませんが、日本の地域もよく分からなくて漢字も少し苦手なので、この場所はなんと読むのか、教えていただけないでしょうか」というようなことを聞いたそうです。私はそのような対応をする自分が想像できませんでした。そして、他の人は、どこまで深く相手のことを考えるのかということを調査したくなりました。そこで、17名の日本人、17名の日本以外の国籍の人にさきほどと同じホテルの例を話し、どのような対応をすると思うか聞いてみました。
日本人を含む多くの人が「丁寧に聞いて確認する」と回答しました。しかし、面白いポイントは回答ではなくて、答え方にあると感じました。欧米人はほぼ全員、すぐに「丁寧に聞く」と回答しました。それに対し、日本人は答えるまでの時間が長く、すごくためらったり、いろいろな方法を考えようとしたりしていました。また、私の友達のように、私を驚かせる回答も出す人もいました。「字が汚いのではなくて、読めないほど高いレベルで書かれているので読み方を教えて欲しい」と自己卑下する人もいたし、「最近の若い郵便局員は、ちゃんとした日本語が分からないだろうからふりがなをふってもらうよう頼む」と答えた人もいました。このような回答は欧米人からは全く得られず、欧米人の考え方と日本人の考えかたは大きく違うのだ、ということが分かりました。
質問の状況が仕事場であるため、心からの本当の思いやりではなく、社員として丁寧な対応をしなければならないと考えただけかもしれません。でも、少なくとも考え方に違いがあると思います。
面白いことに、日本人の年配の回答者のほとんどは、答え方が若者より曖昧で、より迷ったり、ためらったりしていました。年配の人は自分の行動が周りにどのような影響を与えてしまうかということを考えるため、答えを出すのに時間がかかったようです。日本では、電車の中で化粧している女性や、携帯メールに夢中になりお年寄りなどに席を譲らない、といった人を前よりよく見かけるような気がします。若者だけの問題ではないかもしれませんが、このような問題を起こしている多くの人は比較的若い年代です。これは若者から年配の人が持っているような「思いやり」が失われつつあるということを暗示しているのではないでしょうか。
なぜ「思いやり」がなくなっているかという質問に答えるのは非常に難しいことですが、社会問題を解決するために、日本の伝統的な「思いやり」は大変価値があるのではないかと思います。例えば、イギリスには今、ビンジュ・ドリンキングや若者の乱暴な行動などといった問題があります。このような問題が起こっているのは、恐らく西洋文化特殊の「個人主義」が関係しているからなのではないかと考えました。確かに西洋文化でも「思いやり」のようなものはあると思いますが、個人主義が強調されているので、日本に比べるとそこまで深くは相手のことを考えていないのだと思います。もしかしたら、日本にも個人主義の考え方が多く入っているから、「思いやり」が消えつつあるのかもしれません。
日本は消えつつある伝統的な思いやりを取り戻し、欧米は協調性を取り入れれば、他人をもっと配慮することができ、現在起こっている社会問題を緩和することができるのではないでしょうか。私たちは、日本の伝統的な「相手の気持ちを深く推し量り、思いやる」ということから学ぶべきことはまだまだたくさんあり、これからもより良い社会を築き上げていかなければならないのだと思います。
本日はご清聴ありがとうございました。
















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